磨崖仏巡り(中津・院内)
2009年8月2日(曇)
久々に何もない休み、今日はゆっくりしようと思っていたが
目覚めは早かった、二度寝とガンバって見たが無理
天気もあまり良くないのでが、体が目覚めてしまったので
準備して、遅めの出発である。
燃料が入って入ってなかったので最寄のスタンドに
バイクに跨ったが未だに目的地が決まらない(^^;)
時間もないので、中津・院内の磨崖仏巡りに決定!
目的が決まれば走るだけ!
開店前の「えふ」を通り
カカシ達に見送られ響ファームへ
今日は蒸し暑いので停まらないで走れるルートは助かる
my田んぼ に近いところに最初の目的地です。
判りづらい案内、草木に覆われ通り過ぎてしまった。
岩洞窟(入口の案内撮ってない)です。
いきなり、金網が進行を妨げますが
鍵は掛かっていませんでした。
歩き難い岩場を通り進むと
目的の岩洞窟です。
昔は狗ヶ岩屋と呼ばれ
この辺りの地名の岩屋の由来になったそうです。
洞窟と言っても、窪みになっているだけです。
昔は洞になっていたのかもしれませんが
階段を上がると
石仏がお出迎えしてくれました。
江戸時代の作品らしいです。
苔生しています。
覆いかぶさる天井には
「飛天」が中肉彫りで彫られています。
飛天とは、仏教で諸仏の周囲を飛行し礼賛する天人です。
よく見ると、羽衣を纏った天女のようですよね。
飛天=天女です。
ここだけが、穏やかな雰囲気がありました。
奥には五輪塔・宝塔がありますね。
薬師堂も有りましたが何もいらっしゃらなかった!
さて、次はこのまま東へ直進
中津方面へ
下界に下りると暑い
多少、迷いましたが(入口が判り難い)
鈴熊寺です。
小高い丘を登って行くと・・・
目的はこれ 涅槃石です。
遠くから見ると丸い物しか見ませんが
近寄ってみると
釈迦涅槃の周りを
長き悲しむ人々の顔が彫ってあります。
この象は1823年 中津藩主のすすめで
鈴熊寺中興の祖といわれる
天台宗の僧 午道法印が彫刻したものといわれています。
すぐ後ろにある仏たちは廃仏毀釈で頭がありませんが
なぜか繋がりがあるような、感じがしました。
ここには 国重文の薬師如来があるそうです
(知らなかった(^^;))
毎月8日にご開帳され拝観することが出来るようです。
お寺の回りには仏たちが沢山いました
。
本堂 開け放たれています。
裏に回ると渡り廊下ではありませんね
暑く湿気が多い為、足元には
体温上げてる青大将が
ニョロニョロ写真撮ろうと近づくと
逃げて行きました。
さて、暑い下界での散策は終了
再び響ファームに戻り、院内へ
快走で涼しい
吹き抜ける風が冷たく気持ちいいです。
院内に向かうのですが車が多いので
佐田京石の前を通る県道658号線を快走
国道500号に出て
楢本磨崖仏へ初めて行きました。
いつでも行けるが今日まで(^^;)
短い階段を上がると
壁面?岩山?に沢山の仏が彫ってあります。
色も着色している仏もあるようです。
奥に見えるは多聞天か?
何だろう?
不動明王
釈迦如来?
等など沢山あります。
下段には十二神将が彫ってあるそうですが
草が覆っていて全然見ることが出来ません
秋・冬にもう1度確認したいですね!!
さて、楢本より15分
国道500号線より入り込んだ所に
このような山の壁面があります。
その壁面にお堂が見えていますね。
前回発見した所です。
麓に行って見ます。
このような薄暗い坂を登って5分
目的のお堂が見えてきました。
岩の窪みに作られているお堂で上を見ると
定番のスズメバチの巣がありました。(^^;)
今は空家のようですね!
お堂の中には
コンガラ童子・不動明王
迫力のある不動明王ですね。
実はこれ粘土で作ってあります。
粘土細工の象は大分県内では珍しいものです。
セイタカ童子
実にリアル動き出しそうです。
どれも、数度の修復が行われている為
年代は定かではありませんが、
室町後期か江戸時代初期のものと推察されます。
汗だくで歩き回り目的は終了
再び響ファームを走り帰路へつきます。
「えふ」前で誰かいないかな??
と思って立ち止まると駐車場一杯の車
知り合いもいないのでイソイソを引き上げます。
こんなに沢山の車初めて見ました。(^^;)
磨崖仏巡り、暑さはいいのですが
草が大敵でした。ニョロニョロも沢山見たし
涼しくなって別の場所に行きたいですね!!
走行距離も肩慣らしでいい感じでした。
走行距離 265km