飫肥に行きたい!

2009年5月23日(晴)


タイトル通りに飫肥に行きたいと思って数年
岡山ツーも行ったし!
何よりETC¥1000の力は大きい!
遠くに足を延ばすには頃合である。

って、ことで出発!
どう考えても帰りが遅くなりそうなので
まだ暗い4:00に出発しました。
九州道を南下!

太陽を拝んだのは熊本IC辺りでした。(^-人-^)


北熊本SAで給油後
一気に霧島PAまで
宮崎道に入り霧!!
前が見えないのは仕方ないが
シールドに水滴が着いて見難い
しかも、ウェアーが水分を含んで体温を持っていかれる!
手が痺れて限界!
コーヒーと日を浴びて、体を暖める。


田野ICで降りて県道28号線を南下
飫肥まで約30km
ペースのいい車について行き、気持ちいい
30分程で飫肥に着いてしまった。
この道は信号も無く、楽しかった



飫肥城下の駐車場に8:30到着
9:00に開くと思っていたら9:30からだった
1時間ノンビリと歩くことに!

飫肥は文明16年(1484年)の戦いの跡、
豊州島津家の全盛を挟んで、伊東家と島津家の間で
飫肥の覇権を巡って激しい合戦が繰り広げられた。
伊東義祐は、飫肥城主島津忠親を破り、念願であった飫肥を奪うが
すぐに、島津氏の手に戻った。
その後天正15年(1587年)、
豊臣秀吉の命により義祐の子・祐兵(ゆうすけ)が
伊東家の居城として賜って以来、明治初期の廃藩まで
280年余り、伊東家14代にわたり納めたところである。
資料抜粋

NHK「わかば」ロケ地でもあります。


碁盤の目ような通りである。


左右の石垣も綺麗に組んであり凹凸がない。


大手門です。
昭和53年(1978年)復元されたものです。
新しいですが雰囲気があってます。


天守まで真直ぐな道は無く
曲がりくねっています。
(城攻めの時に一気に攻められないように!)


道幅はかなり広いですね。


白壁の後ろはすべてこのようになってます。
何の為にしてあるのでしょうか??


左右の杉の木の大きなこと


上に行くと飫肥小学校がありました。


時間が早いので1番行きたかった
本丸へ


本丸跡というのに
杉の木が沢山あります。


木陰が多いので下は、苔の絨毯でふかふか
歩いていて気持ちいいですね。


裏門になるのでしょうか
杉林の奥に写っていたもんです。


杉の大きさが分からないので
私の体で! 大きな杉ですよね!


廃藩後に植えたにしては(約100年?)
大きく育ってます。途中から史跡指定された為か
枝は上の方ばかりですね。

飫肥杉とは、軽くて粘りがあり折れにくいのが特徴だそうで
船の材料に最適だったそうです。


石垣もノミの跡が残っていますね。


裏門の向こうは飫肥中学校のグランドですね。


本丸の杉林は好きなところですね。
明るすぎず暗すぎずいい感じです。



この中で30分ボー としてました。



石垣の苔も雰囲気出してますね。

近くに来た時には本丸だけでもいいので
また寄ってみたいですね。


9:30になったので通行手形と購入します。
これで、6ヶ所見ることが出来ます。


まずは、本丸近くの松尾の丸
江戸時代初期の書院造りの御殿として移築したものです。
西本願寺の飛雲閣(国宝)を模してある
枌(こけら)葺きの総桧造りです。


飫肥藩主の川御座船の模型ですね。
昔はこんな船が浮かんでいたのですね。


中には当時の雰囲気を作ってあります。


トイレです。
男性用は総桧造り??


こちらは畳?
滑りそうですが(^^;)


沐浴用の浴室です。
床に勾配があり真中の割れ目より
水が下に落ちる仕組みになっていますね。


こちらは、蒸し風呂だそうです。
立派ですね!


竹政の天秤です。
これは一本の竹を切らずに作ってあります。


続いては資料館です。

当時の鎧


刀剣 幅が太めですね!


籠など様々な資料が展示してあります。



城跡を出て町まで真直ぐです。


横も真直ぐです。



大手門すぐ近くの豫章館です。
ここは、明治2年に作られた藩主伊東家の住まいです。



大きな平屋です。

CLICKすると大きくなります。

庭は枯山水式庭園だそうです。
私は何処で見ても枯山水の良さが分かりません。(^^;)



数奇屋に向かう小道です。


周りを木・竹に囲まれ
ここだけはかなり涼しかったです。





この雰囲気が涼しげいいですね。



向かいにある。小村記念館です。
飫肥出身の外交官 小村寿太郎候 
没後80年の記念に建てられました。


幼少の頃よりの資料などが沢山展示してあります。



中でもポーツマス条約で日本が使っていたテーブル


ポーツマス条約を調印したテーブルです。
小村寿太郎候は日英同盟を結び、
日露戦争後の講和条約の全権大使としてポーツマス条約をむすんだのです。

ポーツマス条約憶えてますか?
遠い遠い記憶ですよね。
私も名前しか憶えて無かったです。(^^;)

以下が概要です。


つまり、不平等条約を改正し関税主権を獲得
この功績で日本は名実ともに独立主権国家となったんですね!
私も?????でした




すぐ近くに小林寿太郎候の生家です。


中には立派な飾り物が展示してありました。



続いては伊東伝衛門の家
飫肥藩の上級家臣の住宅だそうです。
当時としては立派な家だったのでしょう。
庭も広いです。



振徳堂 ここは飫肥藩の藩校
つまり学校ですね。



広い平屋建てで、ここで勉学に勤しんでいたのでしょう。



庭もかなり広く
武芸の鍛錬も出来たでしょうね!


城下から県道を越えて
街に下って見ます。

水路には鯉が飼ってありました。
津和野の鯉より細身です。(笑)

足音が伝わると一斉に寄ってきます。





旧山本猪平家です。
飫肥の商人家だそうです。


かなり、裕福だったのでしょうね
広くて立派ですね。


かまど・五右衛門風呂などが残っていました。



こちらは離れかな?



見ての通り小村寿太郎の生誕の地



後は街中に商家資料館があります。

手押しポンプ
カッコイイです。火消しのステータスか??


中には商当時のお金や家裁道具が展示してありました。



人形までいます。
この前でお年寄りが沢山アイスを食べてました。
異様な雰囲気を感じてしまいました(笑)



国道の通りも真直ぐ
城下町の面影を残す為にみな白壁ですね。

これで飫肥散策は終わりです。
暑い中汗だくで3時間歩き回ってしまった。(^^;)

一度訪れたいと思いようやく叶いました。


続いてバイクで15分、油津に行きます。

資料館に停めて歩きます(^^;)
ここは「男はつらいよ!」の寅さんのロケ地で
第45作 寅次郎の青春編が撮影されました。


堀川橋 明治36年
飫肥の名石工 石井文吉により完成しました。


見事な組です。
隙間も無いですね。



菊池で見た円柱の欄干ですね。

寅さんの時も街のシンボルとして撮られました。



吾平津(あびらひつ)神社
当時は油津ではなく 吾平津だったのかな?



シャコガイの大きな貝殻が置いてありますね。
海が近いせいかな?


立派な社ですね。
異様に屋根がでかいのですが??
旅の安全を祈願しました。



続いてはここ
杉村金物本店 昭和初頭の金物店で
店の外壁は銅板を貼ってあります。
中には当時の金物もあるそうです。


金物店の裏の倉庫です。
道路工事のため、ウロウロ出来ません!


大正10年 河野家の倉庫として建てられた
赤レンガ倉庫です。



解体されるところを、街の勇士により
買い戻され市の文化財になりました。
昔は入れたようですが
現在は入れないようですね。ざんねんです。
道を綺麗にしているので観光化するのかな?
期待しましょう!


ここで、今回の目的はすべて終了してしまいました。
思いつきで動いたので、下調べしてません(^^;)
マップルを取り出し調べます。
霧島・綾を抜けようか?とも考えていたのですが
百済の文字を見つけました。
前に行って見たいと思っていたことを思い出した。
ちょっと?かなり遠いですが日向目指します。


県道28号線を北上
中部グリーンロード・広域農道・尾鈴サンロードを走りました。
マップル参考


途中で祝20000km達成です。
普段は気にもしないのですが、たまたまでした。

国道327号線より左折

数年前の台風の被害の工事がまだ続いてます。
引き返そうかとも思いましたが15分待ちなので
休憩がてら停車
国道446・388号線と繋ぎ美郷町に着きました。


百済の里の横にある神門神社へ向かいます。
百済王を祭っている神社です。

顔が怖い狛犬です。


鬼瓦のようですね。


小さいですが立派な拝殿ですね。


奥には廊下があり 本殿がありました。



この御神木は国重文に指定されているようです。


大きく太いのですが
皮が厚いです 指が沈む程です。


見て見たかったのがこれ!
百済の里の西の正倉院です。
奈良の正倉院を実物大に再現した建物です。
木材も木曾の天然桧・瓦や堀 門に至るまで
天平時代のまま作られています。


平成完成なので木肌が新しいのは仕方ないですが


金属の釘を使ってない、作りが好きですね。


中は博物館となっていて
西の正倉院の作り方や道具など


百済伝説が残る美郷町で
出土した銅鏡など展示してあります。


百済伝説とは、
7世紀に滅亡した百済の王族が日本の奈良方面に逃れ
その後九州方面を目指した。
日向に漂着後 ここに移住したと伝説が残されている。


百済の館があり
百済が最後の都となった韓国の古都(扶餘)の
王宮後の客舎を模して建てられています。
ここで、すでに4時回ってます(^^;)


中山峠を越えて国道265号線に繋ぎます。


途中、椎葉渓谷でこんなものを発見


向こう岸にも?
距離にして50m?
橋でも在ったのでしょうか??



国見トンネルと抜け馬見原へ


ここまで来ると久々に
馬見原橋へ
見ての通り車道の下に人道があります。



人道には穴があって下を覗けるようになっている
変てこな橋です??

国道218号線を西へ
昼を簡単に飫肥天と厚焼玉子で済ましたので
腹が減りました。
通潤橋に着たので街中をウロウロ


噂のおちかラーメンを発見することが出来ました。



時間帯が外れているのか、客は私だけ!


特製ラーメンです。
味は醤油トンコツの醤油が強い感じ
以外にさっぱりして食べやすかったです。
麺はやや太めで噛み応えあり好きでした。

腹も満腹 寒かった体も温まり 西へ


霊台橋で写真を撮って


歩道の砂が雨で流れてますね。
詳しくは誰かがアップする筈ですからこれくらい!

御船ICから高速に乗り北上
基山・古賀でパラパラ降られ帰宅しました。
よく走りましたが、初めての処が多く楽しめました。


走行距離 824km

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